宅間死刑囚に死刑執行

大阪・池田小事件の宅間死刑囚に死刑執行 確定後約1年

今日までこのニュースを知らなかった….

それにしても「プロ野球界再編」とか「栃木・虐待殺人」とかの方がニュースヴァリューが高いという判断(そういう判断基準も?だけど)で,ほとんど扱ってる時間がなかったような気が….昨日は,佐世保の女児殺人事件の加害児童が児童自立支援施設への入所措置決定,というニュースもあったし.

たまたま,『現代思想』2004年3月号「死刑を考える」を読み返してた直後でもあり,死刑制度の存廃についての自分のスタンスが今回の執行でなんか揺らいだような気がする.ボキは,死刑制度は廃止すべきという考え.応報刑説に立つ気はないし,一般予防説は根拠薄弱というか実証性がないように思える.かといって,全ての人間が教育刑で更正する,とは全然思わない.特別予防説に立って,終身自由刑の導入をすべきという考え(べんきょうが浅いので「そういう立論はおかしい」のかもしれないけど).それと,高校生の頃だったか今は無き『EXTV』(上岡龍太郎…)で大島渚の『十三階段』とかを観たショックもあって,情緒的に死刑を受け付けない(『ダンサー・イン・ザ・ダーク』もキツかった).また,自分が死刑執行人だったら…「あぁ,できねぇ!」から「仕事ですから仕方ない」へと変わっちゃうかもしれん(ナチスアイヒマンのように).そのことが怖い.

前述の『現代思想』中の論文では,現在,絞首刑の際の床板を落とすボタンは複数人が押して,結局,誰のボタンからの電気信号がほんとの「執行」につながったのかは,押した執行官たちは分からない.そのことによって執行官の罪の意識を軽減する,ささやかな配慮をしている,という.その執行官たちは今回,宅間死刑囚の執行に関しては,ためらいなくボタンを押せたのか?「ためらいなく」なんてことはないだろうけど「しゃあないな」と現場の人間が感じるところがあったとしたら,まだまだ死刑廃止の刑法改正はないだろう.

かくいう自分が,今回の執行に動揺をあまり感じていない.ということは,自らの死刑廃止論は脆弱な論理(なんてないなぁ.ほとんど情緒そのもの)によるものだということなんだろう.

以下,memo(URL)
死刑廃止と死刑存置の考察
Thinking like Singing