nonfiction:桂米朝「我が噺家人生」(NHK『こころの時代』)

ここんとこ,筑摩の古典落語集(例えば『古典落語 志ん生集』ちくま文庫,とか)読んでて解説なんかを読んでると,結構その昔は上方落語からネタを持ってきた噺が多かったらしい(「らくだ」とかは有名).自分が,京都より西に行ったことがないもんだから,上方情勢にはとんと疎いのだが,米朝は一度でいいから寄席で聴きたい,そう思っている(まごまごしてると,実現できないかもしれん).

で,上方落語は戦前から徐々に衰退し(吉本が噺家を抱えることを止めて漫才一本に絞っていく経営戦略をとったことも影響したと聞く),戦後間もなくに米団次・笑鶴・春団次といった名人が亡くなった時には「上方落語の滅亡」とまで語られたという.そんな時に米団次に入門し,現在の上方落語の中興の一翼を担ったのが米朝だ.

米朝の「百年目」を去年だったか一昨年だったか,ETVで観たことがある.貧弱な上方観しか持ち合わせていないのに偉そうな物言いで恐縮だが,どうも向こうの芸は「爆笑に次ぐ爆笑でなければ笑いではない」ようながめつさの追求があるように思うのだけど,米朝の落語はそういう芸とは一線を画している.すごくすっきりした印象がある.粋,というのはこういうことなんだろうな,と.

煙草を吸う仕種,愛弟子であった枝雀(自死している)に触れたときの淋しそうな表情.たたずまいの全てにダンディズムを感じる(陳腐な表現で自分でもヤだが).「人間国宝」にふさわしい.そういう制度存置の是非はともかくとして….

最後に紹介された,米朝が師匠・米団次に言われ肝に銘じている言葉.

「末路哀れは覚悟の前」

釘ひとつつくらない,そんな仕事を稼業としたからには…という先達の教え,という.「好きで入ったこの道じゃもの」とか前にくっつけたら,都々逸としてもいけそうだなぁと.

談志の「人生成り行き」と合わせて,ボキも大切にしたい言葉.