小谷野敦,2004『すばらしき愚民社会』新潮社

d:id:h2so4:20040913で書いといた本屋No.1に,月末で金欠ながら意を決して買いに出かけたところ,平積みだったはずの同書が「品切れです」という店員の回答.でも,No.2にはあったので,二ノ宮知子『のだめカンタービレ #10 』(10)講談社コミックスキスともども購入(カードで…).

自称「法界悋気」小谷野節が本書でも!なのだが,フリッパントなディレッタント(ものを知らないもので,「フリッパント」は恥ずかしながら辞書引きました….本書にあった言葉なのだが,くっつけてみるとある程度,わらしを言い当てた表現になっていると自讃)から言わせてもらいたい.

1. 「インチキ現代思想より近世を!」[:82]とおっしゃいますが,愚民は何なら読めるのでしょう?

「おまえは『中庸、ときどきラディカル』とか『バカのための読書術』(ちくま新書)とか読んでねーのか!」と怒られそうだが….前者は「積ん読」のままですが,後者は読みましたよ.おそらく『太平記』は最低読まないとダメだということなんでしょうが….浄瑠璃本を暇をみては読まれているとのことですが,岩波文庫あたりから山東京伝とか河竹黙阿弥とか近松とか鶴屋南北とかの戯作等を読めばいいのだろうか?
ただ,ボキの場合は,落語への興味の方が強いので,都々逸とか講談とかに関する本の方が先に読みたい.これらの通俗芸能の「本歌」が浄瑠璃だったり歌舞伎だったりするのだろうが,そこに辿り着く前に知らないことが大杉なので.

2. 「マスメディアにおける性と暴力」([:161-174])について

「不快だから見たくない,そういう声をもっとマスコミや文化人は大きくしろ」という主張には賛同.これは不肖,ボキも卒論のテーマにした.その際,性表現規制を「猥褻」「(女性)差別的」「有害」「不快」というカテゴリー分けして論じた(つもり…)なのだが,結論として法規制しうる妥当性を持つ論拠は「不快」論しかありえない,というものだった.表現の自由を称揚するからには性表現を権力機構により恣意的に取り締まらせないことと同時に「そういうものは不快だから見たくないものに見せるな」という対抗言論は意義あることと思う.

3. たばこ,やめなくたっていいじゃないですか.

「私は,たばこをやめようという断固たる意思を持っているわけではない.ただやめられないだけである」([:214])とおっしゃられますが,談志は「たばこをやめる奴は意思が弱いんだ」っておっしゃってますよ.まして「ファシズム」とすら感じられる健康増進法を頂点とした国家的+生ー権力的な嫌煙思想蔓延する当節,「矢尽き刀折れても」の覚悟でいこうじゃありませんか!(そんなに力み返るほどのことじゃあないが)
最近は,たばこの吸えない喫茶店も多くて…(だからスタバには一度も行ったことがない.加えてボキが行くと景観を損ねるので自粛…).
ただ,たばこの害が酒の害あるいは車の害と程度問題でいけばどっちの方が悪だ?という立論は,僕は説得されるけど,他のヤツらが聞くかどうか.「ともかく喫煙はがんの発症に影響がある」と曲がりなりにも「科学的」に彼奴らは説明してくる以上(それがトンデモとかデータの読み違いとかであっても),向こうは「比較の問題じゃない」と一蹴してくるような気がする.だからそういう状況が「ファシズム」なのか….

いかに自分が頭を使ってないということが,十分に分かりました.勉強してまいります….