吉村平吉,2003『吉原酔狂ぐらし』ちくま文庫.

単行本は1990,三一書房
ここのところ落語の速記本に限らず「廓もの」ばかり読み,また遊廓に関する記述のあるサイトばかり見ていた.余談だが,すすきのが第2代開拓使長官・岩村通俊の命で建設されたことや同所に官営妓楼『東京楼』が造られていたこと,また,すすきのとは別に通称「白石遊廓」の名で現在の白石区菊水に遊廓(札幌遊廓)があったことを初めて知った.菊水はあたしの母校のあるまちであり,その遊廓のあった場所からは少し離れているが,3年近く住んでいたこともありちょっとした驚きだった.母校の先輩に故・室田日出男がいるが,いつだったかAX系『いつみても波瀾万丈』に生前出演していた際「高校の頃は近くが女郎屋だったので,よくそこで遊んでた」という話をしていて「すすきのはけっこう遠くないか?」と思っていたのだが,今なら得心のいく話.
閑話休題
著者は,1920年生まれ.戦前,榎本健一一座の文芸部に出入りしていたころから,劇場のあった浅草の奥の「観音様」に通うようになり,戦後はポン引き稼業にも足を入れた経験を持つ風俗ライター.40年以上,吉原に住んでいたそうだ.謦咳に触れたエノケン一座の座付作家・菊谷栄(現在公開中の『笑の大学』の稲垣吾郎演じる作家のモデル)に憧れて,というのも吉原暮しを始めたきっかけの一つになったらしい.
赤線廃止前,廃止後の吉原(著者が暮らした期間の大部分は廃止後だが)の情景,といってもいわゆる大籬よりは中見世・小見世,あるいは吉原周辺でのモグリ売春宿やエロ映画興行といった昭和の性風俗についての記述が豊富で大変ためになる.「シロシロ」「シロクロ」なんて言葉が出てきて,調べてみるきっかけにもなって満足(「シロクロ」は『仁義なき戦い』の何作目だったか,金子信夫が拉致した加藤武をいびるシーンで言ってたな).娼妓との交歓の回想を書いた部分も過剰ないやらしさがない.
本書を読むに,同じ遊びでも,現在のソープとかヘルスとかとは違った趣きの存在を感じずにはいられないことを強く感じる.つまり,かつての女郎買いには「時間を買う」遊びの要素が色濃く,そこでの客と女郎とのやり取りにはまさに「喋々喃々」という言葉がぴったりとあてはまる.もちろん,今の風俗にはそうした要素がまるでないとは言わないが,芸者・幇間を呼び,台の物をつまみつつひとしきり飲んで騒いで「お引け」,というのとは全然違うだろう.そうした昔は当たり前だった情景への憧憬と懐古の感が全体を通じて記されている.共感できるわけではないが,そんなゆったりとした時代を過ごせた著者及びその同時代人がうらやましく思える.もっとも,私がその時代に生きていたら,振られっぱなしだろうが.
今年の初め,初めて吉原に足を踏み入れた.吉原道中*1を散策しようとした時分は辺りが暗くてどっちが大門なんだか分からなかったが,ともかく寂れ切った町並みだった.もっとも,鴬谷から店の送迎車に乗ってナカへ入っていったということもあり….

近時各店では,客から電話を受けると,…指定された場所まで自家用車で迎えにゆく.キチっとした黒服に蝶ネクタイ姿で運転するソープ従業員と,後部席でふんぞり返るGパン・スニーカー姿の若い客をよく見かける.まるでマンガだ.[232]

このあとがきを読んで耳が熱くなった.
ただ,言い訳させてもらえれば,往事の風情・情緒を求め,かつての「粋」を気取ろうにもこちらはお大尽でもなんでもなく,また吉原という場所も変わってしまったのだ.誰がかっこつけても「いきがってる」だけにしか見えないのでは,と思う.

*1:なぜ「道中」と言うか?東海道は江戸から京都へ通じる道であるのと同様,吉原にも「江戸町」「京町」があり,ここから道中と表現する,とのこと