桂文朝逝去

 粋でいなせな江戸前の芸を得意とした落語家の桂文朝(かつら・ぶんちょう、本名・田上孝明=たがみ・たかあき)さんが18日、がんのため東京都内の病院で死去した。63歳だった。葬儀は21日正午、東京都葛飾区立石7の11の25の源寿院。自宅は非公表。喪主は妻貞代(さだよ)さん。
 新宿区生まれ。1952年に山遊亭金太郎(二代目・桂小南)に入門。70年に真打ち昇進。75年に文化庁芸術祭優秀賞、78年に放送演芸大賞落語部門賞を受賞した。最後の高座は2月4日、東京・末広亭の「寄合酒」だった。
毎日新聞 2005年4月18日 12時24分(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20050418k0000e060066000c.html)

 当協会理事の桂文朝(63)が、4月18日(月)午前1時5分、築地がんセンターにて、逝去しました。

 桂文朝は、昭和17年3月31日、東京新宿生まれ。
 昭和27年二代目桂小南に入門し、前座名山遊亭タア坊を名乗りました。
 少年落語家として、一躍人気者になりました。
 昭和30年山遊亭金時と改名、昭和34年桂小西で二ツ目昇進。
 昭和45年真打に昇進し、桂文朝と改名しました。
 昭和59年、落語芸術協会を退会し、翌年落語協会に入会。
 昭和50年には、文化庁芸術祭優秀賞受賞。
 昭和53年に、放送演芸大賞落語部門賞を受賞するなど、
 本格派古典落語の名手として、いよいよ円熟の時を迎えていました。
 享年63歳でした。

 心から謹んでご冥福をお祈りいたします。
落語協会メルマガ [2005年 4月 下席号 (第81号)]

また一人,好きだった噺家が鬼籍に入ってしまった.
オレは,素人見だが文朝と小三治は似たタイプの噺家のように認識していて,どちらもフラがあると思うが,全編とぼけた感じの小三治より,「弱っちゃうなぁ」という困惑気味の文朝の方が好きでした.