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nonfiction:「お母さん,私…ドラッグ中毒です」(NTV系『アンテナ22』(http://www.ntv.co.jp/22/))

http://www.ntv.co.jp/22/oa/051024/txt_01.html
複雑な心境.
この枠のNTVノンフィクションは,非情な言い方をすれば「エンターテインメント」という位置付けなんだろう.
以前,id:h2so4:20050801#p1では,ひきこもりの人たちを更生する在野のヒーローとして「長田塾」を取り上げ,今回はドラッグ依存症の人たちを更生するヒーローとして押川氏率いる「本気塾」がクローズアップされる.番組の構成はきわめて似ている.
ここで疑問なのは,「長田塾」にしろ,今回の「本気塾」にしろ,ひきこもりやドラッグ中毒の人たちの更生を支援する個人・団体は,彼(彼女)らだけではないにも関わらず,彼(彼女)らだけしか取り上げない番組づくりである.
しかも,正直に言って,彼(彼女)らの支援の方法が,良く言って「代替療法」にしか見えない.
たとえば,ドラッグ依存症は,明らかに精神保健福祉法の適用を受ける薬物中毒であり,これに対応する福祉サービスとしては,社会復帰施設の活動があるだろう.NA(ナルコティック・アノニマス)といった活動もあるだろう.医師による支援活動もあるだろう.にもかかわらず,なぜ「本気塾」なのか.
こういった団体・個人の存在を知らない人は,押川氏のような活動だけがドラッグ依存者への援助活動であると思うのではないだろうか.たしかに,現実的には,依存症者たちが使えるリソースが少ないことはあるだろう.特に,都市部においては,被援助者と援助機関の量的格差は大きいと推測される.そうした点では,押川氏の活動は,当事者にとって藁をもすがる思いでつかんだ最後の手段であるかもしれない.また,押川氏も依存症者たちに対する止むに止まれぬ思いから,援助活動を始めたのかもしれない.だが,はっきりしているのは,押川氏の活動が,現在において薬物依存症者への援助活動において最良・最善の援助活動ではなく,また,残念なことだが,将来においても彼の活動が援助の本流になるとは見込めないように思われる.
そういえる根拠は,彼自身がニコチン依存症で,その自覚の全く感じられない行動が番組中散見されたことが一つ.
K子という依存症者の万引き告白に,彼女が万引きを働いた店に謝罪に行ったあと,店外の路上でK子への怒りに任せて,吸っていたたばこを路上に投げ付けるように捨てる,彼女に灰皿を用意させてたばこを吸い続けながら説教する.そういう場面が何度も出てきた.私は,喫煙自体をとやかく言うつもりはない(自身,ニコチン依存症だから)が,リーガル・ドラッグだから,どこでどのようにやってもいいわけではない.これでは,説得力がない.まして,ドラッグ依存症者に対する支援を行う援助者なら,自身の振る舞いを含めた繊細さが必要だろう.
もう一つは,彼の率いる団体のサイトや彼個人のサイトのプロフィールを見る限り,大変失礼な言い方になってしまうが,援助に関連する資格も持たずに活動していることからくる不安である.(http://www.tokiwahoken.com/aisatsu.htmlhttp://www.neverbend.co.jp/pro.htmlでは,彼がどのような資格を取得しているかが分からない).「資格取得がないからダメ」と言うわけではない.医師や精神保健福祉士などの資格を持っている人間ではできないような先進的な援助を彼が行っている,と私には思えなかったからだ.彼の援助は,彼の「依存症者を助けたい」という善意とその人柄によって支えられる「親身の説教」として私には映った.もちろん,それではダメなのか,と言われればそうではないだろう.彼の人格を信頼する当事者・家族が確実にいるのだから.その人々にとっては,このアプローチは何らかの形で効くだろう.
こういうことをあえて記してしまったのは,実際,自分の仕事でも同様の問題で悩んでいることだからだ.善意で始めた私塾的活動,それ自体は尊敬に値する.しかし,こうした活動は,援助者個人のパーソナリティによりかかり過ぎで,また,往々にして第三者による評価メカニズムを持たない.彼らと志を同じくする公的・私的援助機関の絶対数はあまりに少ない.これから依存症者を支える基本法となる「障害者自立支援法」案は(インパクト的には介護保険制度創設と同程度のものだと私見するが)多くのマスコミがほとんど取り上げない….
しかし,援助を求める人は確実にいる.その彼(彼女)たちが,試行錯誤し選択できる援助を担保していく方策との間には,あまりに隔たりがある.