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岐路

 最近,公私にわたり,いろいろと克服すべき課題があって,日記を書く気にならないことが多かった.実は,本日もどうも気分が悪く,欠勤してしまった.32にもなって…,と自責の念に駆られるのではあるけれど,うつとは違った形で気が変になりそうだったので,いつもどおり逃げてしまった次第.若かりし頃,浅田彰『逃走論』を愛読していた私は,生き方に「逃避する」ことがインストールされてしまっているわけで(爆)
 先週末,保健師・栄養士のセクションが母子保健の業務の延長で関係機関を招集して開いた会議があった.私の業務(次世代育成支援対策)とも密接に絡む業務だったので,裏方+当日の会議進行を仰せつかって乗り切った次第.
 今回の会議は,最近流行りの「食育」についての連絡会議のようなもので,中心になることを期待されているのは栄養士.しかし,彼女は今まで,こういった会議を企画・調整する機会がなかったためか,取りかかったのは年度始めだったのに,一向に状況は変わらず「会議を開くに至らない」状態が続いた.
 彼女のキャラは,専門知識はたくさん持っていて,大勢の前で臆することなく話することはできるのだけれど,知識の披瀝に関心が行き過ぎてしまい,話が終わった後,聴衆は「結局,彼女は何が言いたかったの?」になるような,「情報の煙幕で話の核心を拡散する」タイプ.加えて,時系列とか論理構造とかに頓着しない(いや,自分ができていると言い切れないが,彼女の場合,明らかに注意を払っていない*1)ので,なおのこと「分からなく」なる説明員.
 そういうキャラに加えて,―――誰しもそうだとは思うが―――「やったことがないことから逃げてしまう」,「失敗してもいいからアタックしてみる」というマインドに欠けるキャラでもあった.
 そういうトップをどう補佐するか.それが,今回の私の役目だったと勝手に思っていた.語弊を恐れず,自らの非力を顧みず言えば,今回は私が彼女に会議を運営する手法や感覚を「教える」ことが私の仕事だった.
 「この「食育」で,専門職サイドからやりたいことを詳しく話してよ」という投げかけを,保健師・栄養士にした.その内容を元に,事務職の私は,他の会議参加者に伝えるための資料を作っていくのだが,何度聴いても,彼女たちがこの業務を通じて関係者に共有してもらいたい思想や考え方は出てきても,それを実行するためのステップ,あるいは結論が見えなかった.事務屋にしてみれば,彼女たちの考えを事業などで具現化することが,まさに仕事*2なのだけれど,彼女たちはそのことを理解しつつも「私たちが求めているのはそういうことじゃない」という基本的な考えをなかなか変えることができず,結局,打ち合わせは空転していたことが多かったように思う.
 「資料を作ってみて.もらったものをオレが見て,加筆修正があればやるから」と頼んで,送られてきたものも,普段の彼女の話し言葉からは遠く離れた,ビジュアル的にもことばの選び方にもセンスや情熱が感じられない.シンプルそのものの,文字列と表.昨今,さいふうめいの『人は見た目が9割』という新書がベストセラーのようだが,「見た目が9割」ということは,「見てくれでごまかしうる」という別の知見が得られるように,やっぱり「見た目も大事だよね」である.
 「やりたいことは,今までの打ち合わせや,もらったペーパーでオレなりに理解したつもり.誰もやったことないことを,よくやってるよ.オレなりに,これをベースに作り替えてみるから,評価してほしい」と私なりに彼女のやったことを評価しつつ,資料を作り替え,当日に臨んだ.
 結果は,予定時間を誤差の範囲内でクリアしたものの,関係者がやはりこの会議の意図を十分理解できていない状態であった.出席者の多くが教員だったので「アタマかたいよ,この人たちは」というやや偏見に満ちた予断をもって対応したのだけれど,自分でも消化しきれていない部分があったので,その部分は当然,ひっかかったようであった.
 最初から最後までいらだっていたサブの保健師からは「反省会開いてね」と怒ったようにせっつかれているのだが,自分もこの会議のメインストリームにいるのだから,むしろあなたがスーパーバイズすることの方が効果あるだろう,と思っている.たぶん,彼女も私と同じように,自分が教育する側になっていることに十分対応できないことが,いらだちの一因になっていることに気付いているのではないかと思う.
 私とて,ひとにものを教えるほどの経験値があるわけではない.自分だって,勤めてからそうそう教育を受ける機会はなかったのだけれど,自分の性格から「分からんものは独学で」「人のやり口を観察する」というやり方でなんとかしのいできたのだ.しかし,最近徐々に「学ぶ側」という役割だけでなく「教える側」という役割期待が,周囲から感じるようになってきた.自分にとっても,自分で全てをこなすよりは,教えることで同じやり方を共有できる人を作った方がはるかにラクでもある.
 これは,しばらく自分の課題になると思う.
 その自分勝手な「教育モード」がただのおせっかいでなく,よい反応が帰ってきたことも,つい最近経験した.
 社協に入って1年未満の女子が,たぶん見よう見真似で通知文のようなものを作って私のところに持ってきたのだが,体裁・構成が「ちょっと…」だったので,「老爺心ながら」と前置きした上で添削して返してあげた.すると数日後「今まで,こういうことを教えてくれた人が職場にいなかったのですごくうれしかったです.今後もいろいろ教えてください」と手紙をくれた.社交辞令だろうけど,やっぱりうれしいものだ.
 私の理想は,個々がそれぞれプロフェッショナルとして,その専門領域の防御に汲々とすることなしに,コラボしていく仕事ができることだ.そのためには,自分が一番勉強しなければならないし,専門家同士でも価値を共有できるツールを広めていかなければならないと思っている.「自分には経験が十分にないから」止めるか,「『後は野となれ山となれ』じゃ!」と蛮勇を奮うか.その分かれ道は後々いくつも出てくるだろうが,常に後者を選びとる自分であってほしい,と今の私は思う.

*1:決して,女性全てに一般化したり,侮蔑的意味はないのだけれど,周りの女子に「主語がないので,話が分からない」「主語はあるけど,論理性のない話し方になっている」人が多いように思える.

*2:最終的には予算獲得まで行ければ完璧.