研修1日目終了(多くは今日の研修に関係しない雑感)

 10月から、自立支援法の市町村必須業務である相談支援事業の担当者養成を含む研修会@札幌に参加。
 午前中と午後イチの制度に関する行政説明は、相当部分を睡眠学習(爆)。同じことであっても大切なことは何度でも聴くべきだ、とは思うのだが、前日までのサロマ湖キャンプの疲労が出てしまい…。
 午後2講目は野中猛・日本福祉大学教授による障害者ケアマネジメント概論。
 野中氏は、のっけから「障害者自立支援法は悪法です」と断言。当事者以外で直截にダメ法だと言い切ったのを耳にしたのは久しぶりのように思う。
 実は自立支援法については、先週水曜日は行政担当者説明会、土曜日は組合福祉関係者集会で札幌にて話を聴いている。いずれでも説明員となっていた道の担当者は、とにかく10月の円滑な完全施行を追求する姿勢での話になりがちだった。
 組合の方は、なんというか、道本部事務局とか中央本部担当者とかはそれなりにいろいろな情報が入ってきているようで、単なる福祉労働者の待遇改善のみに終始しない、制度に対する「そもそも論」がやれそうな感じではあるのだが、参加者は札幌市の担当者である組合員たちが特に質がひどいように思われた。全体に「こんなわけのわかんない制度をおろしてきやがって」というトーンで道担当者に噛み付いたり、その場にいない市の制度施行担当部局をこきおろしたり、という具合。相談援助担当者なのだろうけど、政令市という条件からか業務の量の話になりがちで、制度理解が曖昧に過ぎる、そんな印象を持った。
 また、自分がやっている児童家庭相談、それに付随する要保護児童対策地域協議会の話題も出ていたが、札幌市を含めどこも設置にいたっていないような話し振りだった。これまで「うちは、最低の福祉しかできていないまちだ」といつも自嘲気味に考えていた私は、この話を聞いて「うちは意外に健闘してるのかも」と自己評価を改めた次第。
 小規模町村はひとりひとりの担当者が制度の最適化設計+窓口業務の両方をやるのが宿命で、それはこの数年間続いている国としての制度変更が重なると相当な負荷がかかるのだが、大きいところは、マスを消化するために必然的に業務細分化が進んでしまっていて、業務に関し知りうる部分が狭く深くなりがち、ということなのだろう。まぁ、大して「熟知している」とも思えない話し振りであったが…。
 組合の方の集会は特に失望感しか残らなかった…。組合は、自らの待遇改善もさることながら、今自分が携わっている業務に対する見識を不断に深化させ、まさに「現場から仕事の仕方を変えていく」というのが「労働者的ノブレス・オブリージュ」と私は勝手に思っていたが、今回のような「組合員で福祉担当者」だけの話し合いでこれでは、「組合で仕事の話はできない」と思わせるに十分だった。
 閑話休題
 この先生(野中氏)の話を聴くのは2回目だが、野中節を聴くと、自分がこれまでやってきた仕事が論理的に整理されてすっきりする。野中氏がエピソードとしてあげるダメケアマネ話に笑ったり冷や汗かいたりして、なかなか心地よかった。加えて、講演を聴いているうちに「こんなとこで座学するより、帰って今から実践できることはいろいろある!」というやる気も出させてくれる。
 最後は、身体・知的・精神障害*1の当事者によるシンポジウム。
 いずれの方もヘルパーを利用しながらの一人暮らしをされている方で、特に身体障害のシンポジストが強く主張していたのは「もう死ぬまで施設には戻りたくない。失敗も含め、自分で自分のことを決められ実現できる生活のほうがいい」という話には、「そうだよなぁ」という共感と「そんなに施設福祉はダメなものなのかなぁ」という懐疑を持った。最近は、自立支援法が明確に「脱施設=地域生活移行」を打ち出したので、施設での福祉には罪あって功なし、というバイアスがかかっているような議論が多いもので。
 このほか、精神障害のあるシンポジストが「病気のせいかわからないが、今まで好きだった音楽や食べ物が急に嫌いになったりすることがある。そういうことがあっても、一日が終わって『今日は楽しかった』とうまい酒が飲める毎日をこれからも過ごしたい。本人・家族を含め、精神障害の当事者は、自分たちが理解し合えることを何よりも一番希望している」という言葉が印象的だった。というか、すごく共感できた。
 そのために、自分は何ができるのか。それをみんなで考えていこうよ、と声をあげるのが自分の仕事のひとつとなっていくように思う。

*1:うちの職場的には「障がい」で、「害」の字は排除されてきているのだけれど、自分自身は「害」を「そこなう」という意味で捉えている。どうも、最近の世間は「害」を「有害」の「害」として捉えてこの用字になっているみたいだが。