政治のレトリックとしての「ベクトル」

 たまたま,選挙がらみで思い出したのだが.
 よく,政治改革の志を同じくするものであれば党派を超えて連帯しよう,という文脈で「『改革を志向する』というベクトルは同じだ」とかいうが,厳密に数学での言い回しで(というか定義に即して)「同じだ」ということであれば,「向き」だけではなくて「大きさ」も同じじゃなきゃ変だろう.かろうじて許容できるのは,方向一致で大きさはもとのベクトルの実数倍(上の例で言えば改革に注ぐエネルギーの大小の違い)だということくらいまでだろう.
 と,ここまで書いて,「実数倍」ということでいくと.kを実数,aをベクトルとして,たとえばkaのk=0の場合を想定すると,「何でもあり」ということになる.そう考えると,あまり違和感のない表現になったりもするなぁ,と思った次第.