12年目

 保健福祉稼業,12年目に突入….
 平成10年に生まれたお子さんは,もう小学校最後の年だよ….
 3月に社長の選挙(→無投票当選)があったので4月1日発令人事ができず(あったのは新採用と臨時職員の配置換えくらい),5月1日発令でやるみたいだがとりあえず保健福祉畑で続投.
 あたしの周りでは「お前はたぶん異動だろう」というのだが,あたしは今回に限っては「あと2年だけここに留めておいてくれ」というきもち.国保の窓口業務はなんとか対応できるくらいの制度理解がなんとなく出来た気がするので,後は国保会計の数字を見る仕事がしてみたいから.
 「担当そのままで主査昇格もあるかもよ?」という話もされるが,位が上がれるような仕事ぶりではないし,むしろ上がらないようにだらしない仕事をしてるんで杞憂だろう.
 もうね,同じところに留め置かれ続けると10年目に入る2年くらい前だったら「もう,定年までここかもしれない」ということを極めて悲観的に思っていたのが,10年超えると「まぁ,どうでもいいよね」という開き直りというか居直りというか,まぁそういう心境になるもので.
 この境地,女子との出会いを求めるココロにも相通じてるような気がする.なんていうか「もう一生独身でよい」とか「この世界に『女』は存在しない」とか己の絶望を補強するための考えをとりとめなくするでもなく「それなりに活動はするけど,こんなもん所詮は相手次第のこと.結果のでない人生だってあるだろう.世の中の人間全てが恋愛して死んでいくわけじゃあないし」ぐらいの気分をベースにしようと最近は思えるようになった.うわ,恥ずかし… あらノ(´д`*)
 そう言えば,一浪の年,センターの結果からまぁ希望の大学には願書すら出せず,出した中でも本命校には振られ,一枚だけ届いた合格通知をくれたのが母校になったのだが,入学前の一週間くらいずっと考えていた.
 「この学校に入るという選択をしたからには,この学歴が一生,人生のあらゆる場面でつきまとうことになるだろう(←当時は「ラベリング」とか「スティグマ」とかそういうタームを知らなかったが,そういう風な理解をしていたように思う).ここが社会に翻弄される人生の出発点になるのだ.何があろうと,甘んじて受けざるを得ない」
 まぁ,実際はあたしが深刻に悩み思いこんでいたほど学歴なんてのはさしたる指標ともなっていない(指標にならない世間で生きているからかもしれないけど)し,働き始めて「できる人」「すごい人」ってのは学歴に関係なくいるのだと実感するようになった.有名大学卒などと言われても「結局,コイツは何を勉強してきたんだろ?」というような人もいるし.
 年を取ったせいかもしれないが,しょせん,あたしはどこに向かっているのかも分からない奔流に浮かんだ小舟みたいなもんで,移ろい行く岸辺の景色で目に留まったものがあればパドルを使って少しだけ向きを変えたり,流れに逆らってみたりするくらいのことしかできない「のかもしれない」というような心境.「のかもしれない」を入れないとあまりにも運命論的すぎる気がするから,少しだけ可能性の余地を残しとく.
 脱線はここまでとして….
 実際,異動ということを考えると,特に行きたい部署もないんだよなぁ.所詮地方公務員は,予算の管理,補助金の手続き,窓口業務,例規の整備,政策立案とその予算化くらいで,あとはそこの部署がなんの法令に基づく業務をやっているかだけの違いだし…くらいの割り切りなのだ(総務畑はちょっと違うかもしれないが).極論すると,「(例規や事業計画等の)文章を書く」「法令を読解する」「お金の管理をする」の3つ(最近なら「事業評価ができる」というのも加えてもいいかも)ができれば優秀な地方公務員で,町村レベルなら3つのうちの1つでもできたら一目置かれる存在になれるだろう.そう考えてしまうと,あとは根拠法令がなんなのかだけの違いしかない───これが言い過ぎだったら客層が変わるというのも入れてもいいが.こういう考えは「未熟者め!」と同業の諸先輩から叱責されるだろうか?
 ちなみに,あったら異動したい部署は「町史編纂室」.そろそろ補遺版出した方がいいと思うし.