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『古典酒場』vol.9

 数年間本州で暮らしたことがあったにせよ,これまで生活の場がほとんど北海道だったあたしにとって,肉を食べることというのは一部の畜肉,それも精肉を食べることとして経験してこなかった.肉といえば豚肉・(ジンギスカンの)羊肉・鶏肉が普通で,牛肉は小学生だった80年代の後半くらいからときどき「すき焼き」というご馳走の形で食卓に出てきたような具合.これは我が実家の家計事情が影響しているところも多分にあると思うが,同年代の道民にとって「肉=豚肉」「焼肉=ジンギスカン」という感覚はなんとなく共有されているように思う.その感覚は,たとえば十勝地方開拓の先駆者・依田勉三の「開拓のはじめは豚とひとつ鍋」という句(当地の菓子会社・六花亭の最中の意匠にも使われている)からも想像をふくらませることができるように,この地の歴史性も引きずっているように思われる.ジンギスカンしかり.
 あまり大風呂敷を広げても仕方ないので,再び個人的な「肉食史」を振り返ると,そこにホルモン(もつ/内臓肉)が出てくることはあまりなかった.ジンギスカンを食べる際にごくたまに味噌味のホルモン焼きを取って食べたことがあったとか,家庭で「体にいいから」と出されたレバーの煮たのを食べたとか.長じるにつれやきとりで砂肝・ハツ・レバーを口にするようになり,焼肉屋でサガリや他の内臓肉を食べ出すようになったのはそれほど昔のことではないような気がする.
 だから,本巻が特集したホルモン酒場で供されるさまざまな部位のホルモンと多様な料理の数々は,これまで類書やテレビ番組で見聞きしたり実際に食べたこともあるものだが,少数を除いて未知の味覚のものばかりだ.大きな判型のムックで豊富なカラー写真でみる品々はまさに垂涎モノばかり.掲載店の多くは東京および近県の店が大半だが,ホルモン食に地域性が見られることも(先に読んでいる類書で知ったことでもあるが)面白い.
 「今,行っておくべき名店」の項で掲載の木場「河本」は,取り上げられている店の中でもっとも行ってみたい店だ.「昭和7年創業」の老舗のたたずまいは,60年以上前の戦火をくぐり抜けて強烈な存在感を静かに訴えてくるよう.高倉健主演の往年の人気シリーズ『昭和残侠伝』にも木場を舞台にしたものがあったように思うが,木場で働く人々が仕事上がりに立ち寄り,煮込みを肴にぐっと酒を飲んで疲れと渇きをいやしてさっと出て行く,そんな光景が思い浮かぶ.どうもあたしは年季の入った店構えに惹かれるようで,浅草「あづま」も訪れてみたい場所だ.
 ところでタイトルである『古典酒場』の「古典」という語のイメージから勝手に古風な店構え・メニューのラインナップの店を紹介するのが本書なのかと思っていたが,意外に新しいおしゃれな造りの店舗が多い.要するに「古典」とは音楽でいう「クラシック」のニュアンス,「正調」ということなのだろうか.
 それにしても,自分の知らないホルモン食の世界が本書にはあふれている.「この店のこれを食べてみたい」「これで呑んでみたい」の手前で圧倒されてしまった.部位のバラエティもさることながら,その調理法も「煮込む」「焼く」「刺身で」と多様.肉というとどちらかといえば焼くものとして口にすることが多いのだが,もしかすると煮込みの方がオーソドックスなのかなと思われるぐらい根付いている.鮮度を第一とした素材の良さで食べさせるのが主流の土地で過ごしてきた人間にとってみると,いつもながらこの時間をかける・手を加える品々にはあこがれのようなものすら感じる.
 「いつかこうした街を歩き,呑んでみたい」気持ち,ふたたび.