「日本の話芸」(NHK)

入船亭扇橋で「弥次郎」.
圓生から教わった噺(師匠は小さん門下)だそうで,旅の思い出に嘘を混ぜて,というよりは嘘に旅のエピソードを混ぜての弥次郎でたらめ旅行記
襲ってきた猪の睾丸(きん)が急所と突いて倒し,皮を穫ろうと刃物を入れると中から子がしし16匹出てきた,という弥次郎にさすがにご隠居,
「雄の腹から子が出るかい?」
「そこが畜生の浅ましさ」
でサゲてるんだかなんだか分からない終わり方.
『全身落語家読本』のなかで志らくは「弥次郎はストーリーテラー」という解釈を提示している.弥次郎の語るでたらめが「面白い」という前提に立って,話は進むのだが,とすれば隠居はどういう心持ちでこのフィクションを聴いているのだろうか?「また始まったよ….今日のはどこで破綻があるかな?」なのか「また始まったよ….今日のはどういう拵えなのかな?」なのか.隠居が善人ないしまじめな人に見える構成になっているのだけど,ここまで無茶苦茶な話にまともに付き合う人が果たしているのか.隠居のキャラクター設定をいじるともっと面白い噺になるような気がする,ってオレは噺家じゃないんだけど.