黒野耐『帝国陸軍の<改革と抵抗>』

 だいぶ前に購入していたものを読了.
 日本陸軍の創設から,明治・大正・昭和の各期に行われた軍制改革を当時の陸軍の「改革勢力」と「抵抗勢力」とに分け明快に著した一冊.特に,日本近代史に関する本をある程度読んでいれば,本書の記述はきわめて分かりやすいものと思われる.
 具体的には,後に首相となって「桂園時代」と呼ばれる政治史上の一時代を築いた桂太郎による明治期の改革,「宇垣軍縮」と呼ばれた宇垣一成による大正期の改革,石原完爾による昭和期の改革について,その経過と顛末が改革勢力/抵抗勢力人脈の動向とともに書き記されている.
 著者によれば,桂による「治安維持軍から国防軍への転換」を目指した明治期改革は,これを後押しした山県有朋大山巌らによる政治の側からのコントロールや日清・日露戦争での勝利と相まって,現状維持を目指す抵抗勢力を排した形で成功を収めた,と評価する.しかし,このとき導入した「統帥権の独立」「幕僚統帥システム」が,その後の軍制改革,ひいてはシビリアンコントロールの機能停止と勝算のない対外戦争の拡大へとつながっていったと指摘する.
 次の「宇垣軍縮」は,第1次世界大戦の経験から得られた兵器の近代化(具体的には重火器化や戦車・毒ガス等の新兵器の導入)・総力戦体制という状況に対応すべく,師団数を削減したうえで,そこで捻出した財源により装備の近代化や国家総動員体制の整備を目指すが,折からの世界的軍縮ムードと金融恐慌等の社会経済的情勢により,単なる軍縮に終わってしまう.しかも,宇垣は組閣の大命を受けたものの,軍縮を「人員整理」と受け止め恨みに思っていた身内の陸軍内から陸軍大臣を出さないという抵抗にあい,組閣そのものが流産してしまう.著者は,宇垣が軍縮に手を付けなければならなかった当時の社会状況に同情的ではあるものの,「厳しい環境下であるからこそ,同じ考えを持つ同志を糾合して難局に当たることが重要」であったのに「宇垣の有能ではあるが強烈な個性と,彼をとりまく人的構成の悪さが,改革に失敗した最大の原因」([142])と評している.
 石原完爾の参謀本部改革については,本書においてはあまり紙幅を割かれてはいない.ただ,石原改革を含めた昭和期の改革を,「停滞した人事を刷新し,進展しない陸軍の近代化を促進し,脅威にさらされた満蒙の権益を擁護するため,中堅将校が下克上的・クーデーター的な手法によって陸軍を変えようとした刷新運動」([144])とみる.特に,石原は満州事変を利用し,まさに下克上的に政府・軍上層部に圧力をかけつつ改革を進めていこうとしたが,上述した宇垣内閣の不成立によって石原自身が軍中枢部から左遷されることによって改革は頓挫した.しかも,宇垣首班に「軍部大臣現役武官制」を盾にして抵抗に成功した石原自身が,自分の部下による「下克上」によって軍政中枢から排除されるという皮肉な結果によってである.
 こうした一連の改革の記述を通じて著者は,改革には熱意ある有能なスタッフと多数の支持を獲得する人的要素が軍事に関わらず共通した要因であると考える.一方,抵抗勢力を排除するために導入された「統帥権独立」「軍部大臣現役武官制」といった政治からの/政治へのフリーハンドが,軍内部そのものを内側から蝕み,結果として軍制改革ひいては政治そのものを破壊していく結果にもつながったと指摘する.そして,あとがきで著者は「(改革することにより)痛みがあっても多くの人々の支持を獲得していくためには,痛みのあとに到来する改革完成後の組織体の姿を明確にしていくことが最も大事」([188])という.
 著者の論旨にはおおむね首肯するのだが,著者は防衛省OBであるので,この軍制史研究の成果をどのように生かすべきと考えているのか.著者が考える防衛省改革なり国防戦略は,本書では周到に回避されていて窺い知ることはできない.
 また,「改革には常に痛みが伴う」としても,できるかぎり痛みそのものや痛む部位を限定化しつつ改革を進めることも必要ではないか,ということをここ10年の経済政策に重ねて私自身は考えたりもする.むやみやたらに現実への適用を図ることには是非があるだろうが,本書の教科書調の叙述には物足りなさも感じた.いずれにせよ,日本近代史に関する一冊として良書だと思う.

帝国陸軍の“改革と抵抗” (講談社現代新書)

帝国陸軍の“改革と抵抗” (講談社現代新書)