元厚生次官宅連続殺傷事件への雑感

 元厚生次官とその家族への連続殺傷事件だが,当初から被害者がともに元厚生次官だったということで近年痛烈な社会的批判を浴びている厚生行政のトップをターゲットにしたテロであるとメディアは報じ続けてきた.しかし,あたしは,たしかに被害者の属性のつながりで言えば上記の「推論」は成り立つとは思うが,即座の犯行声明がないことや元職を標的としていることから,怨恨の線もありうるように思いニュースを見ていた.
 結局,容疑者は警視庁に自首してきたが今のところは銃刀法違反による逮捕で,件の殺人及び殺人未遂容疑での再逮捕は来週となる模様.犯行動機も容疑者の供述によれば小学生の頃に飼い犬を処分した保健所を統括する厚生労働省トップへの敵討ちだったとのことで,メディアが盛んに取り上げた年金・医療行政のトップへのテロとは言えなくなったような気がする.
 ところで,次の記事.

「飼い犬殺した厚生省」実は筋違いだった…小泉容疑者「えっ」
 元厚生次官宅襲撃事件で、銃刀法違反容疑で逮捕された無職小泉毅容疑者(46)が捜査当局の取り調べで、「保健所に殺された犬の仇(あだ)討ちが襲撃の動機だった」とする供述に対し、保健所の所管は厚生労働省ではないと取調官に指摘され、「えっ」と絶句していたことがわかった。
 保健所を運営しているのが都道府県や政令市だという事実を「知らなかった」とも話しているという。警視庁と埼玉県警は、小泉容疑者が「自分の飼い犬を殺したのは厚生省」と思い込んだまま、一方的な憎悪を募らせたとみて調べている。
(中略)
小泉容疑者の主張について、取調官が「あなたの言っていることは筋違いではないか」と指摘すると、それまで「官僚は悪い」などと冗舌に話していた小泉容疑者は「えっ」と驚いた様子で、言葉に詰まったという。
 実際、ペットの処分を規定する動物愛護法を所管するのは環境省で、保健所を設置しているのは、都道府県や政令市などの地方自治体。厚生労働省(旧厚生省)は狂犬病予防法を所管するだけで、犬や猫の処分は保健所の判断に委ねられている。
(後略)
(2008年11月27日03時05分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081126-OYT1T00923.htm

 たしかに保健所は都道府県や政令市等の地方自治体が運営しているが,根拠法令は地域保健法であり,所管は厚生労働省になるかと思われる.だから,全くのお門違いとは言い難い.
 容疑者本人が犬の敵討ちだと言い切ってしまっていることで,社会保障制度を中心とする厚生行政に対する政治的メッセージとしてのテロという事件の位置づけは,ほとんど無効になってしまった.主犯が別にいるのではないかという推測も成り立つが,どうも今のところ犯行に関係した人物は浮かび上がらない.とすると,今回の一連の犯行は,容疑者の偏執的な性格によって引き起こされた怨恨によるものということに落ち着くのではないかと思われる.
 現職次官ではなく複数の元次官を狙ったこと,自首するのにわざわざ住民票を持参して出頭してきたことなど,単に怨恨とは言い切れない不気味さというかこちらの憶測を刺激するものがあった.前者については,元次官を標的とするなら現住所を探し出さなければならず,しかも複数の人間に危害を加えるならば,一人で実行するには多くの労力を要する.後者については,単に身分を証明するだけなら運転免許証で事足りると思われるにも関わらず…である.テロなのか怨恨なのかを峻別することそれ自体はあまり意味のあることではないだろうが,メディアの創る事件のイメージがあまりにテロに傾きすぎていて,果たしてそうなのかという疑問があたしの中に強く残っていた.
 しかし,容疑者の直近の生活環境が次第に明らかになるにつれ,上記の不気味さが何となく氷解しはじめてきた.

小泉容疑者、借金数百万円 血痕が3被害者とDNA一致
2008年11月26日3時1分
 元厚生事務次官宅への連続襲撃事件で、銃刀法違反容疑で警視庁に逮捕されたさいたま市の無職小泉毅(たけし)容疑者(46)が数百万円の借金をしていることがわかった。捜査関係者が明らかにした。同庁は、借金の経緯や小泉容疑者の生活実態の解明を急ぐとともに、借金と事件との関連を捜査している。
(中略)
 小泉容疑者は同庁の調べの中で、数百万円の借金があると説明。一方で、複数のクレジットカードを所有しているという。出頭時の所持金は8万8千円だった。

 小泉容疑者はさいたま市に転居してきた際、「預金などの蓄えがある」と大家に説明。家賃の滞納は一度もなかったという。このため、同庁は、小泉容疑者の収入源などの生活実態の解明を進めるとともに、金の借入先や使途などを捜査しており、生活費に充てていたのか、ほかの理由で使っていたのかなどを調べている。
(後略)
http://www.asahi.com/national/update/1125/TKY200811250388.html

 あたしは「借金と事件との関連」にはそれほど関心がないが,無職で数百万円の借金があるにも関わらず家賃はきっちり支払っているという事実が,先に挙げた不気味さと符合するような気がした.この事件をテロというよりは容疑者個人の気質に由来するものとして考える方が自然だと思えた.
 もっとも,容疑者が供述の中で再三主張している,保健所による動物処分の根絶を求めたテロだったというなら,そうなのかもしれない.しかし,おそらくそれは容疑者個人にとっての事件の意義でしかなく,この事件によって保健所の対物衛生行政を見直そうというような気運は今のところ全くない.
 末筆となるが,被害に遭い亡くなられた方とその家族に哀悼の意を表したい.また,負傷された方には一日も早いご回復をお祈りする.