バンド,辞めようと思います。

今日は,所属する地域子ども吹奏楽団の定期演奏会.毎年,3月の三連休のあたりをぶつけて開催しているのだが,それも今回で最後になるだろう.
以下,愚痴なので折り畳んでおく.
このバンドに入ったのは,採用された年のことだから8年前になる.学生の頃から吹奏楽を始めて,まぁ,その部活でもいろいろとあったわけだが,卒業しても楽器だけは続けたいなぁと思っていた.今の職場に採用が決まって,就職先のまちの情報をいろいろ仕入れようと地域紙をめくっていると「地域に根ざした青少年によるバンド」ということで,現在入団しているバンドが取り上げられていた.
高校の吹奏楽部を指導している教師が,小中学生も取り込んで上述のような活動をしているとの由.この記事を読んで「あ,こういう地域楽団なら,大人でもまぜてくれるだろう」と安直に思った私は,採用後すぐに関係者にコンタクトをとり,一メンバーとして活動することになった.
ところが,私の入団と入れ代わるように,このバンドを立ち上げ指導していた教師が異動のため,管外に転じていた.代わって指導者となったのは,その教師の後に高校へ異動してきた音楽教師.
傍から見ていると,当人はこのバンドの指導者になったことは本意ではなく,参加している子どもたちの保護者から是非にと祭り上げられて仕方なく引き受けた,という様子であった.
最初の年は,それでも創立者であった教師の教えを直接に受けた子どもたちが自律的に活動していたこともあり,四半期に1度ある各種イベントを危ういながらも着実かつ無事に終わらせていった.それが2年目,3年目と年が経つにつれ,直接創立者の薫陶を受けたメンバーが進学でバンドを退団していき,後に続く新入団員もほとんど入ることなく,バンドは縮小化していった.新入団員もいたことはいた.そうした子どもたちの大半は楽器未経験だった.しかし,途中参加の子どもたちもいつの間にかいなくなってしまっていた.
バンドがジリ貧になっていくのも無理はなかった.2代目指導者は,新人たちに指導することがなかった.そして,その指導者の周囲にいた高校生メンバーにいたっては,指定の練習日に来ても自ら楽器を吹くことすらなかったのだ.彼女たち(実際,指導者も含め女性ばかりだったのだ)は,団に割り当てられた部屋で談笑し,お菓子をつまみ,メシを食って活動時間の大半をそこで過ごしていた.そんな光景を苦々しく思いつつも,私は彼女たちに何も言わなかった.このまちにこれといって足場を持たない───就職でたまたまやってきた,よそ者の私の方が彼女たちをたしなめるのにはためらいがあった.
ただ,唯一の救いは,同じパート・同じセクションに属する男の子たちがまじめで,真摯な姿勢で音楽に取り組んでいたからだった.私が仕事や付き合いのため練習に行けないことがあっても,行けば彼らは地道に基礎練習に取り組んでいた.
そのうち,2代目指導者がめでたく結婚・出産のため休業に入ると,バンドは勤勉ボーイズと怠惰ガールズに完全に二極分化.毎年行う定期演奏会も,年を追う毎に質の低下(音楽としてはもちろん,演奏会としての進行その他諸々も)を続けていた.
そして,昨年4月,まじめな男の子たちは進学のため退団.残ったのは私のほか,高校生女子4人.Tp.1,Hr.1,Sax.2,Ob.1というアンサンブルすら組めない状況となった.そのうちのまちの中の高校に通う女の子の1人はあろうことか「わたし,高校のバレーの部活で忙しいから」と放言し,その後今日まで見かけることはなかった.私と彼女らとその保護者,女性教師2名(以前からこのバンドに奏者・指導助手みたいな形で関わっていた),そして音楽監督であるフリーの演奏家だけが残った.
彼女らの保護者たちは,何とかしてバンドを存続させようと議論をしたようだ(その場に私は加えられていなかったから伝聞でのこと).そのうちの一人が,音楽監督から与えられたヒントをもとに「親も演奏に参加できる楽器」の購入に踏み込んだ.「トーンチャイム」という,構造としては音叉にハンマーをつけた楽器である.これを使って,保護者も演奏に参加して何とか次の定演を乗り切ろう,という思惑であった.
楽器購入の前に,私も含めて,音楽監督から実際にこの楽器を使った演奏のVTRを見せられた.子どもたちには「面白そう」と概して好評だった.しかし,私は不満であり,それ以前に「なぜこの楽器を買わなければならないのか」が疑問だった.
このバンドは腐っても吹奏楽をやる団体なのだ.まず,吹奏楽をやる,各々が各々の楽器を吹くことから始めなければならないのではないか?たしかに,アンサンブルすら難しい編成にはなってしまった.しかし,そうした編成であっても,これまで支援を受けてきた関係者に客演をお願いするなど,吹奏楽団として存続し続ける方法はいくらでもある(実際,これまでの定演ではバンドのメンバー以上の数の客演───もちろん,演奏レベルで言えば格段に上───を「子どもたちにいい刺激になる」と言って招請してきたのだ).
さらに,新しい楽器に取り組むことがバンド存続にほとんど影響を与えないことはほぼ確実であった.なぜなら,かろうじて残った4人が年度末にはさらに減るのだ.子どもが減るのにその保護者が増えることなどあり得ない.
もっとも致命的なのは,検討している楽器は,少人数では演奏すら無理だということだった.この楽器に習熟している団体なら話は別だが,原理として,クロマチック一音一音にチャイムが割り当てられている.これを手に持って鳴らすのだから,一人最大2本までしか鳴らすことができない.もちろん,4人で8本.持ち替えを考えても一人4本くらいで16本.曲をやることになれば,その倍の音のチャイムが必要となる.保護者が入って,今年は何とか乗り切ることができよう.しかし,来年以降は?これでは,ムダな投資ではないか?
多くの疑問を抱いたものの,私は結局のところ諫言できず,チャイムは購入された.その楽器で昨年末のコンサートにバンドは出演した.まちの中の小中学校を含めた音楽団体の合同演奏会で,トリを務めたのだった.吹奏楽の演奏はなし.私は,聴きに来ていた職場の知り合いの方に「色物なのにトリなんですよ…」と自嘲気味に話した(その演奏会で最後の曲を演奏する際,全く違うチャイムを持って鳴らしはじめたため,演奏が中断するという大失態を私がおかしたことも付け加えておこうw).
そして(いやようやく今日の話に漕ぎ着けたw)今日の定期演奏会
1月から,演奏する曲を選曲し,毎週金曜日の1回だけ練習することを決め,練習を始めたようだった.というのも,私は最初の1・2回しか練習日に行けなかったのだ.仕事及び昨年末から役員となった組合関係の業務で,毎週末ほとんど何かしら用務が入り,練習に行けなかった.
しかし,行っていた最初の1・2回で私は嫌気がさしていた.選曲,しかもチャイムの方の選曲とチャイムの割り当てだけで2回の練習日を使ったからだ.楽器はおろか,チャイムすらメンバーは持とうとしなかった.そして,昨年末のコンサートから合流したOGたちが音楽監督の命を受け,活動を取り仕切る役を与えられているにも関わらず,たまり場ではそのOGたちを中心とした雑談の輪が広がり,おっさんである私一人,ぽつんとしていた.
また,別な日には「役員会」と称して会議への参加が求められた.行ってみると,コンサート当日の段取りについての確認だった.チケット・パンフレットの作成・配布などについて簡単に打ち合わせした後,「コンサート終了後の打ち上げをどこでするか?」に1時間半ほど時間を費やす(「どこでもいいから勝手にやってくれ!」).さらに,保護者同士の雑談は「ホストクラブに行ってみたい!」から始まってフーゾクがどうだのこうだのと,議題からも教育上の配慮(会議には子どももいた)からも遠いところに行った.とにかく苦痛だった.
そうこうして,私も用務のため練習に顔を出せずにいて,本番2週間前になっても,練習スケジュールの変更やそもそも吹奏楽でやる曲は何になったのかすら分からずにいた.直前で申し訳ないが,今回の参加はよそうか,と思っていた頃に,昨年進学してまちを出た男の子から電話が入った.春休みで帰省する,定演あるんですよね?という彼に私は「人手がないからぜひ出てほしい」と伝えた.彼は快諾した.
彼が帰省してきたのは本番1週間前.バンドが吹奏楽の合奏のための練習場所を確保しているか,私が確認したところ,本番前日までバンド名で借りている部屋は1つもない,という担当者の返事が.やむを得ず私が使用申請をあげ,何とかその日は合奏ができた.しかし,それ以降は,帰省してきたOBの彼が毎日練習部屋を取ったものの,私を含め他のメンバーは一切練習に来なかったようだった.同じ建物にいても,彼以外は練習をしていなかった.
日に日に本番が近付くものの,当日の日程及びゲネプロやリハの予定すら示されない.文書配付されないのは今までもそうだったが,今年は口頭での申し送りすらないないという状況だった.これは,学生の頃部活でステージマネジメントを統括していた私には異常としか映らなかった.OGとその周辺の子どもたちは何となく打ち合わせができていたようではあった.
本番当日の今日.楽器運搬があり「9時集合」としていたのに,1,2分遅れて私が集合場所につくと誰もいない.そのうち,ちらほらメンバーが集まってきて運搬開始.会場に到着し,セッティング後,練習開始かと思いきや,女の子たちのチャイム(私はメンバーから外されていた(爆).練習に行けてなかったし)の練習開始.吹奏楽の練習はいつ始まるとも告げられず,私とOBの彼が取り残された.仕方ないから私は,彼に申し訳ないが,事務所へ行って仕事してくる,と話して職場で仕事していた.昼近くになって彼から電話が来た.
「お弁当届いたみたいです.昼食みたいです」
しかし,昼食場所にはOGほか女の子が陣取って(どうせくだらない)話でバカ騒ぎしながら食事をしていた.OBの彼が弁当を取りに入ると,気分を害するようなことを言われたという.私は,彼にとにかくすまないと詫び,自分は割り当ての弁当も取らず,その後のリハに参加した.
開演5分前.女の子たちは部屋で着替えの延長でまたも雑談にふけり出てこない.本番前に怒っていてもしょうがないと勝手に私は思っていた.イライラはピークに来ていたが「これが最後だ」と無理やり気持ちを落ち着かせようとしていた.
アンコールに「マツケンサンバ2」を演奏し,コンサート終了.会場を片付けて,団の役員をしている保護者に「今日,道から派遣されている上司が帯広まで迎えに来いというので,納会には参加できません」と電話した.OBの彼も「急用ができていけない」ということで納会参加をドタキャンした.
なかなかにバカバカしいフィナーレの曲として,「オッレ〜!」であった(なんだかわからん).