再読:中島敦「山月記」

 今も高校の現代文の教材なのだろうか?

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

 人生は何事をも為さぬには余りにも長いが,何事かを為すには余りにも短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら,事実は,才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と,刻苦を厭う怠惰が己の凡てだったのだ.

 十代の頃は,作品全体の持つ雰囲気に,何か中島の含羞を感じ取って感銘を受けていたように思う.
 三十代の今読むと,中島と自分を比べるべくもないのだが,虎と化した李徴に語らせる中島の言葉の一つ一つが,十代とは全く違う現実感をもって突き刺さってくる.
 中島は,昭和16年,32歳の時に「山月記」を物している.そして,翌年に夭逝した.
 喘息という持病を抱え,妻子を持ちながら(多分に「戦中」という時代状況が影響しているだろうが)作品が広く世に受け入れられない,そして,おそらくは死を予感しつつも「いまだ「習作」の域を出ない作品しか生み出せない」といった煩悶の中,その心情を李徴に仮託した一文のように勝手に思う.
 三十代での「老成」などない,と己に言い聞かせようとするようにも感じられるこの一文は,…とにかく重い.