読了:斎藤兆史『努力論』

 主に日本の近現代の立志伝中の人物に関するエピソードをちりばめられた本書だが,新渡戸稲造河口慧海升田幸三諸橋轍次といった人物が,今どれだけ世間で認知されているのだろうか.また,そもそも,本書で取り上げられていないような「日本(世界)の偉人伝」といったものが今どれだけ読まれているのだろうか.

努力論 (ちくま新書)

努力論 (ちくま新書)

 著者が書くところの「結果が出ていないのはまだまだ努力が足りないからだ.見給え.先人の努力に比べれば,君も私も何もなしえていない」というメッセージは,少なくとも自分には届いていると思うが,それがどれだけ多くの人にリアリティを持って受け入れられるとはなかなか思えない.
 つまり,立志伝が成立するためには,もちろんその人物の狂気じみた刻苦勉励も条件として必要なのだろうが,一方で社会階層の流動性もなければならないのではないかと思う.その上で「世に認められないのは,あなたの努力が不足しているからだ」という言葉が信ずるに足るように社会的合意がなければならないように思われる.そうでなければ,本書に取り上げられた人物は,気違いじみた努力をできる才能を持った人たちとしてしか受け取られないだろう.
 本書で言及される新渡戸稲造は,自ら「太平洋の橋になりたい」と口にして,最後は国際連盟事務局次長まで上り詰めた.今の社会において,個人が彼我の差を痛感して架橋すべき分野は果たしてどれくらいあるのだろうか.ある種の専門性を持つ領域を仕事としている人以外は,ほとんど努力するためのきっかけすら持ち得ないようにも思われる.