読了:立川談春『赤めだか』

 もうしばらくは噺家の書いたもの,読まないかもしれない――そう思わせるくらい,どうもありきたりで恐縮だが泣いて笑っての前座青春記で,とりあえずは2008年上半期ベストだ.

赤めだか

赤めだか

 以下,今のところ談春師匠とあたしは住んでる業界が違うので,登場人物に対する敬称は略する.
 談春はあたしと八つ違いだから42,3か.とにかく筆力がすごい.帯文で福田和也をして「間違いなくこの人はことばに祝福されている」と言わしめるだけのことはある.あたし自身は福田和也の書き物に特に感じるところはないのだけれど,それでもこれだけの最上級の賛辞にふさわしい名随筆だ.
 もちろん誇張や記憶を創作で埋めた部分もあるのかもしれないけれども,土台となっているのは,鬼才・家元立川談志の弟子として前座から二つ目になるまでの日々である.
 前座としての修業時代のエピソードの数々は,直に接していた著者だけでなく読む者にとっても「何が家元の『虎の尾を踏む』ことになるのか」分からないスリルと,著者自身の「どうにでもなれぃ!」と肚をくくった決死の行動の連続でありながら,最後は爆笑であったりほろりとさせられたりで,こんなにエッセイで笑ったの,中島らも以来だ(貧困な読書歴,のせいかもしれないが).
 特に笑ったのは,志らくとの二人会の打ち上げに高田文夫が合流し(「ツマミが,焼きうどんに焼きそばに握り飯って,何だこりゃ.飯場の宴会だなこりゃ.炭水化物以外のツマミは出さないつもりかこの野郎」という高田のツッコミにまず笑った),そこで談春が調子っぱずれな唄を陶酔して歌う志らくの演奏を中止して「内藤国雄の『おゆき』歌います!」と歌い出す下り.このとき,談春19才.高田に「どういう19才なんだ!」とそりゃ言われるだろう.あたしが3,4才の頃の曲なんだが,勤めてから何度も聴いている曲であたし的にツボなのだ(いい曲だ…).その後,高田文夫に「小遊三と米助と忘年会するから水割りつくりに志らくと来い.水割りくらい作れるだろ」と(この誘い方が粋だよなぁ)と誘われ,志らくとともに出かけて再び『おゆき』をお披露目したところは大爆笑だった.
 しかし,単なる破天荒の日々を綴ることで,このエッセイは終わっていない.家元・談志を

 それは談志(イエモト)が揺らぐ人だということである.(p.233)

と喝破し,弟弟子である現二つ目たちに「真打披露の口上に家元がいなくていいのか」と檄をとばしている.
 最後には,自身の真打トライアルに家元と絶縁関係にあった五代目小さんを招いて,家元に「小さん師匠を呼ばれたんじゃしょうがねぇ.まぁ,合格だ」と晴れて真打になるエピソードでしめる.「家元を驚かせてやる」という「小さな復讐」(といっても志らくに抜かれたこと,というよりも「なぜオレを認めてくれない」という気持ちからのものだった)から始まったことが,談志と小さんが対面せざるを得ない状況になってしまって動揺してしまい,結局小さんが高座に上がった際のことば(「談春は談志に惚れ切っております…もっとも弟子が師匠に惚れるのは当たり前なのですが……」)で,自身のいたずらが結局,家元に愛して欲しかったことの裏返しの駄々でしかなかったと気づき,落涙するのだった.最後の特別編2編は,2つ目の談春ではなく真打,あるいは弟子を持つ師匠としての視点を得た談春であって,笑いはないが,真面目さ,落語という芸能へのひたむきさが書き表されている.
 今なら郊外型書店で平積みだから買って読むべき.

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 5/20の札幌・教育文化会館の独演会が楽しみだ….